長崎地方裁判所 平成元年(わ)10号 判決 1989年7月18日
本籍
長崎県佐世保市万徳町一五三番地
住居
同県同市同町三番七号
会社役員
西沢清
昭和八年三月九日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は弁護人栗原賢太郎、峯満、検察官大島忠郁出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役二年及び罰金七〇〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から四年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、自己の所得税を免れようと企て、自己の有価証券の売買につき、仮名口座などを分散開設し、これらの口座を利用して仮名取り引きを行うなどの方法で所得を秘匿した上、
第一 昭和六〇年分の実際総所得金額が七、三五八万一、二四九円でこれに対する所得税額は三、三二八万〇、二〇〇円であったにもかかわらず、昭和六一年三月一四日、佐世保市木場田町二番一九号所在の所轄佐世保税務署において、同税務署長に対し、自己の総所得金額は二、一七九万三、一三四円で、これに対し納付すべき所得税額は一六五万二、一〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により、昭和六〇年分の正規の所得税額との差額三、一六二万八、一〇〇円の所得税を免れ
第二 昭和六一年分の実際総所得金額が一億一、三三二万〇、三五〇円で、これに対する所得税額は六、〇七〇万六、九〇〇円であったにもかかわらず、昭和六二年三月一六日、前記佐世保税務署において、同税務署長に対し、自己の総所得金額は二、二〇八万三、二九二円で、これに対し納付すべき所得税額は一八七万四、八〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により、昭和六一年分の正規の所得税額との差額五、八八三万二、一〇〇円の所得税を免れ
第三 昭和六二年分の実際総所得金額が三億三、四八一万六、四四四円で、これに対する所得税額は一億八、八二七万二、〇〇〇円であったにもかかわらず、昭和六三年三月一五日、前記佐世保税務署において、同税務署長に対し、自己の総所得金額は、一、九七四万五、四二四円で、これに対し納付すべき所得税額は一四五万六、五〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により、昭和六二年分の正規の所得税額との差額一億八、六八一万五、五〇〇円の所得税を免れ
たものである。
(証拠の標目)
判示事実全部について
一 被告人の当公判廷における供述
一 被告人の検察官に対する供述調書(乙1)
一 被告人の福岡国税局収税官吏大蔵事務官に対する質問てん末書八通(乙2ないし9)
一 被告人作成の申述書二通(乙10、11)
一 検察官、被告人及び弁護人共同作成の合意書面(甲2、弁1)
一 西沢美佐子、川上敏昭、枡永弘幸(二通)、木村元明、高橋芳樹、加峯瑛士の福岡国税局収税官吏大蔵事務官に対する各質問てん末書(甲9、ないし12、14、15、17)
一 吉田孝一、土屋博、高岡豊各作成の各申述書(甲13、16、18)
一 福岡国税局収税官吏大蔵事務官作成の査察官報告書(甲8)
判示第一の事実について
一 押収してある昭和六〇年分所得税の確定申告書一通(平成元年押第八号の1)
判示第二の事実について
一 押収してある昭和六一年分所得税の確定申告書一通(同号の2)
判示第三の事実について
一 押収してある昭和六二年分所得税の確定申告書一通(同号の3)
(法令の適用)
被告人の判示各所為は、いずれも所得税法二三八条一項に該当するところ、各所定刑中いずれも懲役刑及び罰金刑を選択し、なお罰金刑についてはいずれも情状により同条二項を適用してその免れた所得税の額に相当する金額以下とすることとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第三の罪に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により判示各罪所定の右罰金額を合算し、その刑期及び罰金額の範囲内で、被告人を懲役二年及び罰金七〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、懲役刑については、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間その執行を猶予することとする。
(量刑の理由)
本件は、被告人が自己の所得税を免れる目的で、仮名・借名口座を分散開設し、これらの口座を利用して仮名取り引きを行うなどの方法で所得を秘匿した上、その所得を除外した虚偽の確定申告書を提出するという不正な方法により、昭和六〇年分(三、一六二万八、一〇〇円)、六一年分(五、八八三万二、一〇〇円)、六二年分(一億八、六八一万五、五〇〇円)の三年間分にわたり、納付すべき有価証券売買による所得税額の大部分をほ脱したものであって、右ほ脱額の合計は二億七、七二七万五、七〇〇円もの高額にのぼる上、いわゆるほ脱率も右三年間の平均で九八パーセントをこえる高率になるのであって、その犯情は極めて重大且つ悪質である。またその犯行の動機は有価証券の売買による所得は雑所得とされ、損益通算などの措置がなく利益の発生した年度だけに一方的に課税されることへの不満、更にはこの種事犯の納税申告者が少ない状況である等といった税法上の定めを無視し、他の脱法者の少なくないことを考慮すべきという斟酌に値しないものであり、犯行の態様についても、自己の行う有価証券売買が所得税の課税対象となることを十分に知悉しながら、複数の証券会社に多数の仮名・借名口座を設けたもので、そのことの主たる目的が所得税のほ脱であることは明白であって、これは巧妙・狡猾な手段を弄したものであると言わざるを得ない。
そもそもこの種の事犯は、直接的には国家・地方公共団体の財政的基盤を危うくし、また間接的には納税者の税負担の公平を破り、納税義務者の誠実なる申告を前提とする申告納税制度の根幹を揺るがすものであって、仮に本件のごとく巨額な税のほ脱が頻繁に発生するとすれば、他の納税者、なかんづく所得全額を把握される勤労所得者の税負担との不公平感を増長して健全な納税意識を麻痺させかねないものであり、資本主義社会を維持するに当たって最も悪質な犯罪であるとさえ言いうる。被告人は会社経営者として相当の社会的地位を有し世間の尊敬を受けるべき立場の者であったにもかかわらず、右のような反社会的な犯罪を行ったものであり、更にほ脱された本件所得が有価証券の売買による投機性・不労所得性の強いものであったという事情や、被告人の所為はその犯行態様及びその動機、ほ脱額、ほ脱率、被告人の社会的立場等に照らし、社会的影響も少なくないこと等も併せて考慮すれば、被告人に対しては強い非難が向けられなければならない。
他方、従前においては有価証券の売買益は原則非課税とされていたものであって、例外的に課税される場合も、課税要件、収益の計算方法が複雑で且つ法令解釈上の疑義も存するなどこの種の課税については法制度上・立法政策上多くの問題点を孕んでいた上に、証券会社の対応や営業政策とも相俟ってかなり緩やかな徴税実務・法運用が為されていたのが実情であったという経緯もあり、これら事情が被告人を不申告へと誘惑し犯行を助長したという一面もある。そこで、被告人にとって有価証券譲渡益だけが特別視され、他の通常の所得とは別異のものとして考えられないかとのかすかな望みのあったこともあながち理解できないわけではなく、被告人の有価証券取引きによる利益以外の所得が適正に申告されていたという事実に照らすと、被告人の納税に関する遵法意識が著しく欠如していたとまでは言えない。
また被告人は、いわゆる西沢グループの総師として長らく企業の発展に尽力した者であり、地域経済の振興や、福祉的活動等を通じて社会的貢献を果たした実績も看過し得ないところであって、またその日常生活においても相当の収入を得ながら、とくに奢侈な生活をしていたわけでもなく、家庭的にも良き夫、良き父親であり、一族の中心的存在であり、前科前歴などは全くない善良な一市民であったという被告人にとって有利な情状も十分斟酌すべきところである。更に被告人は自己の過ちを真摯に反省し、事件発覚後も査察官・検察官の捜査に協力的な態度をとるなどその改悛の情は顕著であって、再犯の慮れは少ないこと、被告人は地域社会における信用・名声を失い、現在西沢グループのすべての会社の取締役の地位を辞し、自己の過ちを悔やみながら身を慎みつつ生活するなど既に相当の社会的制裁を受けていること、また被告人は本税・重加算税・延滞税・県市民税合計四億六、八六〇万円余を完納していること等も併せ鑑みれば、懲役刑について被告人に実刑を科するのは相当ではなく、罰金刑についても、被告人に対しあまりに過重な制裁を加えて財産的苦痛を与えることは、特別予防的見地からは勿論のこと同種犯罪の抑止という一般予防的見地からしても妥当・必要なものではないと思われる。悔悟の情十分である被告人の再起と更なる社会的寄与を期待する意味でも主文程度の量刑とした。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 玉城征駟郎)